貧日本紀行 (セコツアー)

金と時間をケチって、車中泊・青春18キップで巡るセコい旅の記録

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美濃岩村城

2013年10月13日(日) 晴れ

この日がメインの活動日。

しっかり朝飯を喰って

夜明けから日暮れまで、目一杯楽しむゾーっと。 o^□^o

kiso023.jpg

意気込んで出発したものの、道に迷ってしまった。。 (-д-;)

少し時間をロスして、城下町の狭い通りを走り抜けて城跡へ向いました。

kiso024.jpg

○ 美 濃 岩 村 城

絵図を見ると相当広い城のようです。

kiso025.jpg

三大山城の一つに数えられる岩村城は、標高721mの地にある 

日本で一番高いところにある城跡なんだとか。

< 「六段壁」と呼ばれる本丸の石垣 >
kiso026.jpg

岩村城は、鎌倉時代に築城された城で、何人も城主が代わったものの

改修を重ねながら明治維新を迎えるまで続いた城だったそうです。

< 本 丸 虎 口 >
kiso027.jpg

岩村城跡には門や櫓の建物は残っていないものの、

苔むした石垣には古城のロマンを感じさせるものがあります。

kiso028.jpg

そして、本丸から見渡す景色は素晴らしい。

石垣に腰かけ、ジーっと周りの山並みを眺めていた人がいたけど

その気持ち わかるなぁ

kiso029.jpg

ところで、岩村城下では「女城主の里」という文字を多く目にします。  

歴史に疎い小生は、武芸・才知に長けた女性の戦話かと思っていたのですが、

後で調べてみたら全く違いました。

< 歴代の城主 >
kiso030.jpg

(少し長いですが)まとめると次のような内容です。

当時の城主 遠山景任に嫁いだ織田信長の叔母にあたる「おつや」は、
景任が病死したため、信長の五男(坊丸)を養子に迎え入れましたが、
坊丸が幼少なので、おつやが後見人となり、事実上の女城主になりました。

ところが翌年、武田配下の秋山信友が岩村城に攻め込んできたのです。
秋山は、おつやを妻に迎えるとして、和議を申し入れたので、おつやは
これに応じて開城。 
岩村城主の妻の座に着き、養子の坊丸は人質として甲斐に送られました。

その後、織田信長は岩村城奪回を図りましたが、なかなか落ちません。
そこで、「叔母の城と戦いたくない」 と和議を持ちかけたました。
秋山と おつやはこれに応じたのですが・・・
信長は和議を結び城を開けた秋山信友と家臣を皆殺しにし、
おつやを逆磔刑に処したのです。

あまりに過酷な仕打ちに おつやの方は嘆き、
「敵方であった秋山は開城に際し約束を守ったのに、
 身内である信長は和議の約束を反故にするのか。」
恨んだといいます。

・・・・・・

どこぞの国の第一書記の将軍様も義理の叔父を銃殺したらしいが、
そのうち、その国で本能寺の変が起きるかもね。

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